いろりばた 観望庵(髙島秀行)

承前ながら、再びオリンピックの話。まだ、相当先と思わんではないが、東京オリンピックまで後何日と表示灯が出て、各観光地随所でWiFi多言語対応や、ボランティアガイドの募集など準備は始まっている。TVスポーツ番組などで煽るものだから、何故かオリンピック気分になってくるから不思議だ。

紀元前六百余年前、ギリシャは戦争が絶えなかった。ギリシャという国はなかったが、アテネ、スパルタ、クレタ島等幾多の都市が国の様なものであったが、その間で熾烈な戦争を繰り広げていた。
それを、一時休戦にし、陸上競争をしようとなり、十数か国が参加して始まり、何故か四年に一度、段々とギリシャ語圏外の国も参加し出し。数十か国規模になったが、戦争の時はその間本当に休戦して、西暦三九三年まで千年以上続いたというから驚きである。

やめさせたのは、キリスト教を国教とするローマ皇帝テシオドス帝で、勝者が、異教のオリンポスの神ゼウスを讃え、讃えられるのは、まかりならぬ、となったようだ。一神教は相並び立たぬということだ。それをクーベルタンの熱意これあり一八九六年、政治、宗教とスポースは別という平和の願いを込めて、再開された。古代オリンピックは二八三回続けたのだから凄い。東京オリンピック三十二回はまだまだ歴史は浅い。しかし、両者とも時の政治に翻弄された時代を幾多も経験しており、ク男爵の“勝つことよりも参加することに意味がある”との言葉は重い。バッハ会長の北朝鮮への好意的扱いには賛否両論あるが、古きオリンピック時代に鑑みれば、オリンピック精神の具現者かもしれない。

古へのオリンピック精神に則り、時代に右顧左眄せず、交戦国は休戦してでも継続する、それが継続的平和に繋がり、実現可能な戦争抑止力なのかもしれない。

髙島秀行

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