いろりばた 観望庵(髙島秀行)

 先般、縁あって、今サハリン、昔の樺太に行った。サハリン州旗は、サハリンと堂々北方四島を含むアリュシャンの島々まで地図一面に染め抜かれている。州都はユジノ・サハリンスクと言うが、昔の真岡、豊原一帯である。終戦まで四〇年間は日本領であったので、懐かしい読者も多いかもれない。また稚内の海に面した綺麗な公園に、真岡郵便電信局で殉職した9名の乙女の碑文をご覧になった人も多いかもしれない。
 
 サハリンスクには、英雄通り、とか忠魂碑、当時の最新鋭の戦車なども展示し、日本人には複雑な思いである。勿論アチラから見た南樺太奪還の勝利のモニュメントである。郷土史博物館は、皮肉にも狛犬に守られた菊のご紋章の扉で、日本時代の博物館がそのまま再用されているのが唯一懐かしい。
 
 樺太は、その昔は、北海道同様アイヌ民族の地であった。しかし、江戸時代には、そこに倭人、ロシア人が漁に来て、3者の係争が絶えなかった。間宮林蔵が樺太探検をし、樺太が大陸と切れた島であることを始めて発見した。日露間の交渉が何度も持たれたが、夫々譲らず、解決しなかったという。一旦は、明治七年、樺太、千島交換条約により、樺太は露領に、千島列島一八島は日領になったが、明治三八年の日露戦争後はポーツマス条約により、賠償金の代わりに南樺太は日本領になり、四〇年間そこに二十万人以上の日本人が住まいした。

 この機会に、殆ど日の目を見なかった映画「一九四五年夏、氷雪の門」と言う映画を入手した。さらに、平成二〇年には、日TVで開局五五周年スペシャルで「霧の火」としてドラマ化されたことを知った。日ソ平和(不可侵)条約を破り、八月九日一方的に南樺太に侵攻した。八月十五日に降伏して以降も、日本軍はほぼ無抵抗の中、無差別に攻撃し破壊殺戮を続けた。真岡にあった電信局も攻撃され、通信の確保が邦人の最後の使命という思いから、局長の退去勧告にも拘わらず九名のうら若き交換手は残った。二〇日、「これが最後です、さようなら」と本土に伝えて自決した、という悲話である。いくら未来志向とは言ってもこの事実は許せない。外交条約違反はかの国にとっては日常茶飯であったとしても、降伏しているのに無差別攻撃を続けるとは、明らかなジュネーブ条約違反である。北海道占領の意図があったという。

 映画は昭和四十年代に作られたようだが、かの国の抗議により、上映は直ちに打ち切られ、幻の映画になったようだ。これもまた情けないことである。ちなみに、北方四島は、先に言う千島列島ではない。元々日本に付帯した日本固有の領土なのである。

髙島秀行  

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