いろりばた 観望庵(髙島秀行)

平成は三一年半ばを以て幕を閉じる。もとより天皇の生前譲位によるものだが、生前譲位は歴史的には珍しい事ではない。かつては、為政者は元号をいつでも、自在に変えていた。

元号の始まりは、BC一四〇年漢の武帝が“皇帝は時をも支配する“として「建元」と号したのを以て始まりとされるが、我が国ではAD六四五年第三六代孝徳天皇期の大化改新の「大化」から始まる。

その後、歴史的な区切りとして十干十二支(干支)が主流になったこともあつたが、江戸期になって幕府が元号が定めるようになり実質的に長く定着した。天皇の逝去、疫病や飢饉、災害の忌避、その他心機一転を期してしばしば改元された。お蔭で後世の凡人には時代の前後関係が分かり難く、いちいち西暦に換算したりしたが、明治になって天皇一世一元とされた。

しかし戦後は、皇室典範の廃止に伴いその存続に関し混乱した。元号廃止論が抬頭し、国会でも真剣に議論された。石橋湛山、尾崎行雄らの強力な廃止論者と、独立国の象徴としての重要性を訴えた坂本太郎(東大教授)の擁護論が火花を散らした。しかし、幸いにしてというべきか、同年(昭和二五年)朝鮮戦争勃発と同時に議論は沈静化した。

されど、その混乱(?)は今でも引きずっており、流石にマイナンバーカードなど政府機関への各種届出は元号記載としているが、民間では、金融機関でも西暦表示を記載するところが出始めている。カレンダーも多くは西暦のみとなっている。それは、思想面というよりはコンピュータシステムの普及と関係があるようで、元号は邪魔なようだが、好ましくない風潮である。

両者の併用は、いつも年号の換算に際し頭を悩まし、数字を足したり引いたりして注意を要するが、相当の脳トレの効用があるのではないか。今年、改元に当たり、改めてその歴史と意義に心したい。

ところで、日本には、西暦同様、年代の絶体軸として、皇紀がある、今年は皇紀何年であるか? 分かれば相当の大和人である。皇紀二六七九年である。神武天皇の即位からの絶体年である。笑わば笑え。西暦だってイエスキリストの誕生年を基準とした年代であり、その根拠が怪しい事にかけては同一である。しかし観望庵も、西暦がグローバル化した現在、流石に皇紀を使おうとまでは言わない。

改元に当って国民は、どんな元号になるか、ではなく、佳き元号の時代になるよう努めなければならない、と思料する。

髙島秀行

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