いろりばた 観望庵(髙島秀行)

政府は、我が国の好景気は戦後最長の六年を超えたところで一服、と言っているが、流石に、誰も神武景気、いざなぎ景気の時ように神様の名前を持ち出さない。庶民の声として、実感がない、と伝えているので相応しくないのは当然だ。

何故実感がないのだろうか? この十年前後で、世帯の年収が減っているという統計がある。平均値で六六〇万円から五五〇万円へ、三〇〇万円~四〇〇万円の層が一番多くなっている。

平たく言って、世帯低年収層が増え、消費者の購買力が落ちている、と見る事もできる。しかし、世の中ほんとに貧乏になっているかと言うと、生活実感はそうでもなさそうだ。それは、おしなべて消費者物価は下がっても上がらず、また、一〇〇円ショップにはあらかたの生活物資がある、スーパーも文字通りスーパーで、おでんやコーヒーショップも兼ね、深夜まで営業しているから、消費の様相そのものが様代わりである。かつてよりはるかに金も手間もかからない。そして、と言っては申し訳ないが、オレオレ詐欺のニュースを聴く度に老人の貯蓄の厚みを感じさせる。

明治時代に日本を訪れた某西欧人は「日本人は、貧乏だが、貧乏人はいない、皆親切で街は清潔だ」言っている。その違和感に似ているようだ。この違和感を解消するには、所謂勤め人の定年制を廃止乃至は延長してはどうか? 年齢で一律に次世代にバトンタッチとは聞こえはいいが、人生一〇〇年時代、はオーバーにしても八〇、九〇才位までは健康な人が多い。昔の様に停年で楽隠居という心境にはらないだろう。それに労働人口は総じて不足している。

何もせずとも金が貰える年金生活二、三十年とはいかにも長く、一体誰が、それを支えるのだ、となれば、自身が積み立てた分、という言い分もあるが、これだけ急速な少子高齢化は想定外で、年金は元々自転車操業で成り立っているのだから若者、乃至は次世代の負担は増すばかりだ。

定年制は勤め人特有の制度だ。商人や農業、自由業にはもともとないのである。人為的に辞めさせられるのではなく、本人がもう結構、で止めたらよいと思うがどうであろうか。会社は公器なのである。

髙島秀行

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