いろりばた 観望庵(髙島秀行)

いよいよ令和の時代が始まった。その影響かどうか、昨今、万葉集や古今和歌集など古典本が良く売れている由である。そんなこともこれあり、先般、まず演奏されることの少なかった北原白秋作詞、信時潔作曲の交声曲「海道東征」の演奏があるというので、聞きに行った。

白秋の詩は古事記に言う、神武天皇が髙千穂から大和まで東征する、「天孫降臨」神話のお話しで、作曲家信時潔は慶応大学、学習院大学等名だたる私学の百校近い学校の校歌を作った作曲家としても有名である。いわば日本創世記で、皇紀二六〇〇年(昭和一五年)初演され、ラジヲで全国に放送されたという。

合唱も、ソリスト四人に加え混声合唱団、それに児童合唱団が付き、オーケストラ共々三〇〇人、四十分にも及ぶ大舞台である。交声曲とは、クラッシックでいう「カンカータ」であり、ソリスト乃至は合唱団は演技をしないで唱で物語っていく。

古事記にあるように、神倭磐余彦命(かむやまといわれひこ)が高千穂の峰に降臨してから海路をとり、筑紫、吉備を経て河内から大和に達する神武東征を、時に土地土地の民謡風を交え、嵐や敵と戦いながら、朗々と歌い上げるのであるが、この詩は格調高い文語でありかなり難しい。「神、坐しき、蒼空と共に高く、み身坐しき皇祖」の独唱から始まる。言ってみれば、日本版ベートーベン第九の四楽章合唱付きである。身の引き締まる和製カンカータであった。 

さらに、アンコールは、かつての日教組が聴いたら卒倒するような、あの「海ゆかば」であった。恥ずかしながら、観望庵もこの詩は太平洋戦争で戦死した兵士を悼む軍歌の流れかと思っていたが、豈はからんや、万葉集の大友家持作であった。

令和選定は、和製に拘った由である。敗戦後、軍国主義と共に、神話も大和心も一掃され、最も大切な惻隠の情、他者への思いやり、公徳心やモラルも教育から消えた。古文や和歌に接することも少なくなった。令和にちなみ日本古来の文化がよみがえりつつあるとすれば嬉しい限りである。

髙島秀行

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