いろりばた 観望庵(髙島秀行)

「AI」(人工知能)なる言葉が流行っている。流行語大賞にこそならなかったが、それだけのことはある。
初めは囲碁、将棋の世界でメキメキ強くなり、プロの棋士を負かせて同好者を驚かせた。高齢者の自動車事故が増えるにつれてか、電気自動車にAIを搭載した人工自動車が便利で安全、とデモを始めた。医療や、生産現場でも多々その活用が進みつつあり、開発されているようだ。

AIが従来のコンピュータの進歩、即ち情報処理の論理化、高速化の流れと異なるのは、自身が学習型、経験型であって、いわば人間の脳の発達に似て、無知な赤子が様々な経験と学習を経て賢くなるように、自身が進化していくことにある。何年、何十年分の経験を瞬時に積んでしまうのだから末恐ろしきことではある。今や、棋道では世界のトッププロも敵わなくなり、むしろAIから学んでいる。

オリンピックの“おもてなし”にも、AIの活用がされるそうだ。AIは数えきれない経験学習を踏まえて、その先に何があるかを想像乃至は推論するのだから、その判断は人間よりも確度は高いだろう。

しかしいいことばかりでない。悪意を学習したAIは更に悪質で見抜け難いだろう。今のNET詐欺やサイバーテロ以上に対策が難しくなる可能性もある。

昔、アメリカのSF映画で、宇宙船のコンピュータが乗組員の口の動きから会話を理解し、反乱を企てる、というのがあった。当時奇想天外ではあったがAIの悪夢かもしれない。

将来、およそ人のするすべてのことがAIに代替することができるのではないか、という論者もいる。

しかし、各国、各地で過去から継承されている伝統や文化、価値観をAIが理解することはできるとは思えない。芸術も然り。また、ひとの世は運、偶然が多く、それを予測することはできない。更には、ひとの世はAI的にはたわいのない事に目くじら立てて議論するが、それが刺激となり、思わぬ事が生まれる、突然変異の積み重ねが進化論を生んだように、デジタル的な発想には不向きであろう。

是非ひとの世と競合するのではなく、ひとの世の為に貢献してほしいものである。

話は変わるが、観望庵は、この度アマゾンのキンドルで電子出版した。タイトルは「還暦クラス会」、著者「観望庵」である。中編小説で、恥ずかしながらの処女出版である。ご関心の向きは是非ご一読いただければ幸いである。(観望庵)

髙島秀行

還暦クラス会

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