いろりばた 観望庵(髙島秀行)

全国的な新コロナの緊急事態宣言が解除された。行政は、二波、三波に備え、ゆめゆめ油断めさるな、と弛みタルミに警鐘を鳴らし続けるが、一段落は一段落である。

コロナを巡っては、現生の人には一世一代の体験であり、連日連夜様々な評論がなされている。原因、検査、薬の開発、病室の拡充など所謂専門家レベル。やや遅れて、自粛自粛、の反作用で社会・経済・教育などへのリアクションとその助成。ひいては、政府の対応が早いの遅いの、とお決まりのパターンへと向かったが、真向非難する相手は挙動不明のコロナウィルスなので、勝手が異なり、骨のある議論は難しい。

政治家は直ぐ専門家会議といい、所謂専門家はコロナ感染のことしか頭にないから、出るな、するなで、経済活動の生命線が断たれた業種もあり、社会は大きな打撃を受けた。行政人や評論家は情緒的な人と理論的な人との違いが顕著だった。知事では、大阪のY知事の科学的説明は光っていたが、あとは概して慎重というか静観。やたら、生活の新常態、ニューノーマルとか、アラートとか分けの分からぬ新語を繰り出して科学的説明はなく、情緒不安を煽るだけの東京のK知事は頂けなかった。

動かない人達に向け、色々な分野で新しい業務形態が開拓された。教育、医療のテレワーク、非専従の食事の配送ビジネス、旨い食事を持って帰れるテイクアウト、同様の主旨での冷凍食品の有りがたさ、などはコロナが終わっても生活習慣に影響を与えそうだ。

我が国は、世界的に見れば大規模な感染ではなく、感染者数も死者も、欧米各国と比べても桁違いに少ない。なぜだろうか。国民の遵法精神と清潔さのお蔭、ハグや握手、キスといった濃厚接触習慣がない事、島国説等々言われたが、イギリスでも大発生した。スペイン風邪ではわが国で28万人もの死者が出ているのだから、ウイルスが特殊なのか。衛生状態や貧困と関係があるかと思えば、アフリカ後進国や東南アジアでは感染者も死者も非常に少ない国もある。日本でも岩手はゼロだ。山中博士の言うフアクターXとは何だろうか?

観望庵はかくも考える。非難を覚悟で言えば、西欧各国首脳のいう命の重さは日本で言うほど「平等」ではないのではないか。連日の感染者や死亡者が桁違いに多くても、経済の窒息回避の方を優先させる。口では重病人対策第一といいながらもう十分生きた人よりも、社会経済活動を支える若者の方が大切なのだ。命とは、やれることをしたらあとは、神の思し召し。多くの大戦で戦死者を出した。死の価値は必ずしも平等ではない。底流に、死生観、宗教感が拘わっているように思うが、どうだろうか。  (観望庵)

 

髙島秀行

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