日本の研究開発「価値を創るイノベーションの推進」

江村克己

技術経営士の会

 

はじめに・・・

私はNECで長く研究開発ならびに研究開発マネジメントに携わってきた。その間に世の中が大きく変化し、日本の立ち位置も変わり、NECの業態にも大きな変化があった。これらの変化とともに研究開発の進め方、ひいてはイノベーションの興し方にも大きな変革が起こった。本稿では、これまでの変化を振り返りながら、来るべき時代にあわせたイノベーションならびに人材育成のあり方について議論する。

 

リニアモデルによる研究開発の時代

私は1982年の入社時から光通信の研究開発に取り組んだ。当時は、国際通話の通信料が高く、遠距離でつながることに大きな価値があった。通信速度は5年で4倍になるといわれ、半導体におけるムーアの法則と同様、技術開発のためのロードマップがきれいに敷かれており、その中で他社より如何に早く、効率的に高性能を実現するかに競争のポイントがあった。国際学会で世界一のデータを出すとグローバルに各所からコンタクトがあり、それをベースに連携や人材の獲得を行うことができた。いわゆるリニアモデルで研究開発を進めて成果を出せば良く、研究開発マネジメントも比較的シンプルに行える時代であった。現在でも、性能が最も重要な評価指標となる部品材料、デバイス等の領域では同様のモデルでの研究開発が有効であると考えられる。一方で、通信に関しては、つながることが当たり前になりその付加価値が相対的に低下、一方で中国企業の台頭等もあり、日本企業が通信機器ビジネスを行うこと自体が難しくなった。通信を含むICT基盤により提供されるサービスに価値の主体が移ったともいえる。“モノからコトへ”ということが喧伝されるようになったタイミングでもあった。

 

価値創造型企業への転換

NECはコンピュータとコミュニケーション、加えてソフトウエアの技術を有している。これらをベースにものづくりの企業から価値創造型の企業への転換を行うと決めたのが2013年頃であり、2014年には社会ソリューション事業を進めるメッセージとして“Orchestrating a brighter world”を設定した。社会課題解決や新しい社会価値創造に取り組むにあたっては、従来のリニアモデルによる研究開発プロセスから脱却し、新しい形でのイノベーションプロセスを構築することが必要になった。その第一歩は、解くべき課題、創るべき社会価値を明確にすることである。このフェーズでは社会の問題を考えることになることから、人文社会の知見を取り込むことが重要になる。またこのタイミングで、実現すべき社会システムの全体像を描くことも必要であり、俯瞰能力の高い人材が求められる。NEC中央研究所での採用を見ると、2007年には電気電子情報系からの採用が7割を占めていたのに対し、2020年には理学系からの採用が最も多く、次いで電気電子情報系、その他工学系となり、それぞれが約3割という状況になっている。博士人材の採用を強化するとともに中途採用を中心に人文社会系の人材の強化を進めている。大きなシステムを構築する場合には、System of Systems思考が重要になる。日本にはシステム工学の専攻者が少ないため、ものごとをメタ化、抽象化してみることが出来る数理人材の採用も強化している。

 

目指すべきところが明確になった段階でシステムの具体的な設計を行う。昨今、AIの活用が進展している。一方でプロセッサの性能が向上し、AIをエッジにも実装できるようになってきた。通信環境を理解し、どこにどのような処理を配置するかのデザインが重要になっており、それにより実現される機能や性能に差が出てくる。コンピュータ、コミュニケーションさらにはAIに知見を持つNECならではの課題解決や新しい価値創造を実現するというところにチャレンジがある。実世界のリアルな課題を、現場で全体感を持って解いていくことに日本企業が目指すべきところがあると確信している。

 

System of Systemsとして検討を進めているものの代表がスマートシティである。市民の意向を受け首長が作りたい都市像を明確にし、その実現を企業群がサポートして、スマートシティを実現する。ロンドンなど海外の有力都市ではCDO(Chief Digital Officer)が任命され、つくりたい街を、デジタル技術を活用して実現している。日本でも同様な役割のポジションがつくられるところも出始めている。都市においては多様なサービスが提供されており、それぞれではデータの活用によりサービスの高度化が進められている。さらにデータの横連携を可能にすることで新しいサービスの提供が可能になる。NECは欧州発のデータ連携基盤FIWAREを導入し、各都市のスマート化をサポートしている。標準アーキテクチャによるプラットホームを導入することで、他都市で実現された優れたサービスを容易に採用することができるようになる。具体的には富山市で実現された観光・交通サービスを高松市に展開したという事例も出ている。組織の縦割りを打破して新しいサービスを提供したり、都市間の連携を進めたりするには超えるべき壁も多いが、リソースが限られる日本においては、このようなアプローチにより、より良い都市を実現していくことが不可欠である。

 

データを活用することの最大のポイントは全体最適化である。情報の時代(Society4.0)では過去の事例をベースに、演繹的なアプローチで課題解決に取り組んできた。この演繹的なアプローチでは、見える範囲での取り組みとなり、ともすると局所最適な解を求めることになりがちである。データの時代(society5.0)に入り、広域の多様なデータから帰納的に解を求めることが可能になり、人知を超える新しい解を見出せるようになった。各所に存在するデータをつなぎ合わせて課題に取り組むことで、これまでは難しかった全体最適解を求めることが可能になってきているのである。スマートシティをはじめとする今後の取り組みでのチャレンジは、真に全体最適解を実現出来るかどうかにあるということもできる。

 

課題解決のためのイノベーションプロセス

大きな課題解決や価値創造のためにはイノベーションプロセス全体を見直して進めることが不可欠である。達成すべき目標にあわせ、まず適切なイノベーションエコシステムを構築する。関連するすべてのステークホルダが、ビジョンを共有して参画することが重要である。

 

従来、産学官連携がいわれているが、これから必要となるのは産官学民連携である。真の課題やユーザのニーズを理解するという意味においても初期から市民の参画を得て進めることが重要になる。実用化をスムーズに行うという観点からもユーザ起点での取り組みが重要になる。NECが六本木で行ったスマート街路灯の実証実験は、当初から地元商店街と一緒になって進めたが、これが新しい連携の事例といえる。日本ではイノベーションにおける市民参画がまだ十分とはいえない。研究者や技術者が市民対話を行うアウトリーチ活動を強化し、市民の科学技術への興味とリテラシーを上げていくこともこれからますます重要になると考えられる。

 

課題解決や新しい価値創造においては、答えが見えない中での取り組みとなるので、現場実証を進めながら柔軟にターゲットを変更しながら研究開発を進めることになる。多数の失敗を経て新しい価値が作られることを理解し、失敗を許容する文化を醸成するとともに評価の仕方を変革することも必要である。研究者自らが現場に出て、課題を体感することも重要である。最近は研究者に、農業に従事させるという取り組みも行っている。会社の実験室では真の課題解決には取り組めなくなったということである。

 

研究成果を社会実装するにあたっては、技術以外に社会制度、規制やルール、標準化等への対応も必要となる。データの扱いやプライバシーへの配慮をしっかり行い、社会受容性を高めるための活動も必要となる。イノベーションは社会浸透してはじめて完結すると言われているが、その完結のためには、より高い視座を持ち全体を見渡して必要なことすべてに取り組むことが求められている。

 

人材をつくる

もう一点、これからのイノベーションの推進のために意識しておくべきことに、その推進人材の育成・確保がある。イノベーションにかかわる人材に求められる素養が変化している。既に触れたように、特に重要で人材が不足していると思われるのがSystem of Systemsの思考を持ち、全体俯瞰ができる人材である。当面は多様な事業経験による人材育成で対応することになると思われるが、長期的には、ジュニア時代からSTEAM教育を導入するなどしながら必要な人材をつくっていくことが重要になると考えられる。私は2020年度、産業競争力懇談会(COCN)で、“社会で育てるSTEAM教育のプラットホーム構築”の推進テーマ活動に関わった。産業界さらにはそのOB人材を含め、社会総出で次世代人材の育成の取り組もうという提案であり、現在、その具体化に向けた検討を進めている。多くの方に関心を持っていただけることを期待している。

 

もうひとつ重要な点が、イノベーションエコシステム内に多様な人材を受け入れることである。人文社会の知見の取入れや市民の参画を考えると、多様なバックグラウンドを持つ人が同じ課題に取り組むことになる。時間感覚や考え方が異なるメンバーが共通言語で会話が進められるようになるには時間がかかるが、しっかりコミュニケーションをとりながら進めることが必要である。Diversity & Inclusionが大きな成果を出すための基本であることを理解して取り組まなければならない。このため、幅広い視野を持ち、コミュニケーション能力に長けた人材を育成していくことも重要である。違いを受け入れ、多様性を重んじる文化をつくることも大きなチャレンジといえる。NECではこのためのカルチャー変革に全社をあげて取り組んでいるところである。

 

最後に

コロナ過を契機として、リモート化の導入により働き方や教育、医療が変わるなど、社会の仕組みが大きく変化しはじめている。気候変動問題に端を発し、カーボンニュートラルの議論も活発になってきた。市民の科学技術イノベーションへの期待も高まっている。この期待にこたえ、持続可能な新しい社会を創っていくことが私たちの責務である。従来のやり方にこだわることなく、新しいイノベーションプロセスで新しい価値を創っていくことがこれからのチャレンジである。イノベーションプロセスの変革とともに意識改革、文化改革を進めることで、より良い社会の構築と日本の産業競争力の再強化が可能になると確信している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です