日本の研究開発ー情報通信会社の研究開発

花澤 隆

技術経営士の会

 

日本の研究開発が危機的な状況にあると、多くのメディアが指摘している。一方NTTでは、IOWNという新しいビジョンを提唱し、新たな研究開発体制を構築して強力に研究開発活動を展開している。こうした中、現役を離れて10年以上も経ちその後全く研究開発とは縁のない生活をしている者が、今さら色々生意気な事を申し上げることは憚れる。ここではこの“危機的状況”の責任の一端を感じつつ、改善するとしたらこういう点も議論のポイントではないかという点について考察する。

 

1.NTTの研究開発体制

本題に入る前に理解を深めて頂くためにNTTの研究体制について触れておく。NTTの研究開発体制は1999年のいわゆるNTT再編成以後、やや複雑な構造になった。ここでお話をするのは私が所属していた日本電信電話株式会社(持株会社)の研究所をベースとした内容だ。持株会社は事業を行っていないので、研究所は基本的にはグループ内5つの事業会社から「基盤的研究開発費」を利益操作にならない方法により確保していた。そしてその研究成果を事業に用いるために提供するという流れだ。

この研究所の扱う分野は基礎から実用化まで、あるいは科学と技術と幅広く、これを一言で語るのは大変難しい。ここでは技術の実用化(開発)に限定してお話ししたい。

NTT再編以後およそ20年の実用化分野の流れを振り返れば、前半は通信網のブロードバンド化・マルチメディア化、インターネット関連インフラ整備など情報通信インフラ関係の実用化にまだ多くのリソースをかけていた。この分野は、目標も明確でこの技術を使うであろう事業会社のニーズも明確に把握できるものであった。開発すれば使ってもらえる時代であったともいえる。しかし徐々にサービス、ソリューションなど、どちらかと言えばインフラを利用する上位階層に重点化すべき技術分野がシフトしていった。AI、ビックデータ、IoT、音声、映像などのメディア処理、言語処理、セキュリティなど、NTT研究所が強みを持つ技術をより進歩させるのは当然として、これらの技術を如何に多くビジネスに結びつけるかがNTTグループの技術経営として重要な課題になってきていた。すなわち企業内でのイノベーションだ。

*ここでは「技術革新」ではなく、「ビジネス要素(商品の開発・生産・市場開拓・収益の流れ等)に従来に無い観点があり、これにより顧客に新たな価値を提供する大きなビジネスを創出すること」と定義

 

2.既存企業内で技術主導のイノベーションを起こす難しさ 

NTTにはサービス/ソリューション分野の優秀な技術者が多く、また優れた技術成果を生み出してきている。ところが残念ながらこれらの技術が簡単には大きなビジネスに結びつかない。1、2度実証実験を行っただけ、あるいは1社が短期間使用しただけで棚に上げられたままになる成果が散見された。

イノベーションを起こすきっかけには大きく分けて、①シーズ志向:新たなテクノロジーを用いたビジネスを起こすケースと、②ニーズ志向:顧客の悩み(あるいは社会的課題)の解決や利便性の向上を行うためのビジネスを起こすケースがある。NTTの研究所はその役割上、①のシーズ志向を中心に進めることが基本になる。しかし「テクノロジー主導のイノベーションは“悪手”と言われることが多い。技術指向の起業家は、新技術を発見しても、一般消費者がどう使うかを考えるのは二の次だから、ニーズがなく、当然市場もないという結末に行き当たりやすい」[1]、「技術革新だけではビジネスの成功はない」[2]など、一般論としてシーズ志向でイノベーションを成功させるためには色々な工夫が必要になってくる。

市場に提供するのは技術ではなく、その技術が生み出す価値という発想が極めて重要だが、研究者の興味は技術そのものに集中してしまう。こうした企業内で技術主導でイノベーションを起こすことの難しさについて理解したうえで、私が日頃重要と考えているイノベーションを起こすための改善策について述べて見たい。

 

3.イノベーションに向けた責任者の明確化

NTTではシーズ志向の課題を解決する方策として、プロデュース制度なるものを採用した。プロデュース制度とは、研究開発投資回収の責任をもち事業化の責任者として指名されたプロデューサが、NTTグループ内だけでなく、グループ以外の企業や団体などとのアライアンスも視野に入れ、NTT研究所の優れた研究成果の事業化を推進していく研究分野横断的な取り組みだ。プロデューサ自身は特定の技術専門分野の責任者ではなく、技術とは独立の立場で事業化を推進することが重要なポイントになっている。この制度により研究所内に確実にビジネスマインドが醸成されたと思う。

ただ残念ながら持株会社は自ら事業を行う会社の体制ではないので、ビジネスを大きくしていくためには、実際にビジネスを行う事業会社担当者のパッションをどのように高めていくかという課題があったように思う。プロデュース制度だけではイノベーター理論でいうイノベーターやアーリーアダプタ―は獲得できても、その先ビジネスを発展させるためには工夫が必要であった。

 

4.市場とのコミュニケーション

技術開発を起点にイノベーションを起こすためには、開発に携わる技術者自身がビジネスを考える力を身に着けることの必要性を強く感じている。すなわち技術者にもマーケティングの色々な手法、ビジネスイノベーションを起こすためのフレームワーク(考慮すべき項目の枠組み)を勉強させ、イノベーションに取り組むセンスと意欲を持つ技術者を多く育てる必要がある。

また社内でビジネスを議論する際の“共通言語(フレームワークやツールキット)”を明確に規定し、開発計画を立てる段階、開発を開始する段階、事業を開始する段階、事業を見直す段階、これらすべてのイノベーションプロセスにおいてこの共通言語を用いての進め方を議論すべきだ。

どのようなフレームワークでも良いのだが、顧客分析、提供する価値の具体化、必要な経営リソース、マネタイズの方法、解決すべき制約事項などを総合的かつ視覚的に検討できる、スイスの経営理論家アレックス・オスターワルダー氏らが提案する「ビジネスモデルキャンバス」[3]およびその補助フレームワークである「バリュー・プロポジション・デザイン」[4]を個人的には推奨している。特に文献[4]は技術(製品やサービス)を顧客ニーズにフィットさせ、提供する価値を明確に理解する上で役立つと考えている。これはシーズ志向イノベーションの大切な出発点だ。これらの方法はいわゆるデザイン思考の方法論であり、仮説を立てて検証する反復的で継続的に行うプロセスになっている。

このようなイノベーションの考え方は、早い時期例えば高校生、遅くとも工学を専攻する大学生に教育する必要がある。技術者教育プログラムの審査、認定を行う日本技術者教育認定機構(JABEE)では、「経済的, 環境的, 社会的, 倫理的, 健康と安全の側面, 製造可能性, 持続可能性などの現実的な条件の範囲内で, 市場ニーズに合ったシステム, コンポーネント, 方法を開発する創造的で,反復的で, オープンエンドなプロセス」をエンジニアリング・デザインと呼び、工学教育に取り入れるべきとしている。ビジネスモデルキャンバスと同じデザイン思考の発想法が根底にあって起業家を育てるには必須な教育項目だと考える。しかし残念ながら工学系の大学は学術的な教育を重視するあまり、こうしたビジネスで役立つ教育を軽視しているように思える。[5]

 

5.将来を語る力

現在世の中に無いものを生み出す時には、市場を調査するだけでは実現できない。大衆向けの自動車で成功したフォードは、市場に耳を傾けるのではなく、「賃金が安い人たちも車を買って家族でドライブしたり外出したりして楽しむようになる」というビジョンを持ち、さらにそれを実現するための生産ラインの方法を考え出したのが良く引用される例だ。

このように将来の社会や生活がどのようになるかの“ビジョン”(実現したい未来)は新しい製品、サービスを生み出す重要な羅針盤になる。新製品開発やプロダクトポートフォリオの見直しなど、少し時間をかけた研究開発が必要な時期には、経営トップがしっかりとビジョンを掲げ、社内のベクトルをそろえることが技術経営的には極めて重要だ。特に技術を先行的に開発し、これをイノベーションに結びつけて行くに際しビジョンの果たす役割は大きいと思う。1999年NTT再編の際、NTTはビジョンの重要性に鑑みて、持株会社の研究企画部門に“ビジョン担当”という組織を設置した。R&Dビジョンを作成し、これに基づき研究所全体の研究開発項目の方向付けを行うことをミッションとしていた。

NTTはビジョンを発信し続けて情報通信産業をリードしてきたと思う。1979年の高度情報通信システム(INS:Information Network System)構想、1990年のVI&P(Visual Information & Personal)構想などをはじめ経営にインパクトのあるビジョンを多く出している。これらのビジョンが通信網の全デジタル化・マルチメディア化さらには、インターネットサービスの商用化、モバイル通信の高度化、光ネットワークの拡大の実現に大きな貢献をしてきた。そして2019年には、IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)という名称で、2030年を見据えた全光ネットワークをベースにした、次世代コミュニケーション・サービス基盤の構想を発表し、その具体化を推進している。いずれもトップマネジメントがビジョンにコミットし、全社を挙げてこれにこだわり続けて来ている。

但しビジョン先行の研究開発マネジメントにも落とし穴がある。市場が提供する製品・サービスを認めるにはタイミングが早すぎる、技術が未熟で性能やコストが現実的ではない、周辺の必須技術が未発達など、直ぐには市場に出せない事態に陥りやすい。しかし、アイデアそのものは優れているものも多いので、これら早すぎた技術を如何に管理して棚に上げて置くかが重要になってくる。

ビジョンを考えるというのはそう簡単な仕事ではない。技術や市場の将来を予測する豊富な知識、統計データの読解力・観察力、市場に対する共感力、考えたことに拘らずいつでもゼロから論理を再構築できる根気。必要な能力は沢山ありそうだ。残念ながらビジョンを考案できる人材をどうすれば育成できるかの答えを私は持ち合わせていない。しかし、ビジョンを考案し、これを実現するために情熱をもって取り組む技術者を沢山育てることが日本の研究開発を活性化する上で欠かせない。

 

6.研究開発要員の雇用流動性

大学を卒業した後、よりよい仕事と処遇を求めて複数の企業で働くことは、人材育成・リスキリングの観点からも日本企業の多様性確保の観点からも好ましいと考える。複数企業で経験を積んだ技術者は色々な発想法を身に着け、創造力の面でも成長が期待できる。特に技術からイノベーションを起こす現場には人材の多様性は必須だ。

雇用の流動化には負の側面も多くある。一番大きいのは人材育成にかけるお金が長期的な投資につながらないことだろう。しかしこれは日本全体の技術力が向上していると思えば、価値ある社会貢献だ。やめた優秀な人材の後任には、どこかで育った優秀な人材を採用することも可能で、リターンはあるともいえる。

NTTのような大きな企業では、優秀な技術者を中途採用する際に処遇面での課題もあった。メンバーシップ型雇用を長く続けてきた会社では、どうしても“年次”をベースとして昇給、昇格するシステムが確立していて、途中で出入りする人材を労働市場にふさわしい処遇で迎える多少の工夫が必要だ。私が現役の時代には国際的に優秀な研究者に特別な処遇を与えるということが始まっていたが、これを一般の研究者に拡大する時代ではなかった。

このような処遇の仕組みが一番マイナスに作用したのが博士号取得者の採用ではないか。年次ベースの処遇は、専門性よりも人柄・組織への適応性を重視した採用を行い、研究開発要員は自社で育てるという考え方が背景にある。高度な専門知識を身に着けた博士号取得者が、ふさわしい処遇で一般企業を渡り歩き、ついには起業するというような事例が増えてこなければ日本の活力も弱まるばかりではないか。

 

7.まとめ

 総務省の統計によれば、日本企業が使用する研究開発費の90%が資本金10億円以上の大企業のものだ。研究開発費の大半は実用化に使われている。このような状況を考えれば、この技術の開発が効率良くビジネスに結びつくことの重要性を痛感している。

 


文献

[1] ハイス・ファン・ウルフェン(高崎拓哉 訳 三宅泰世、山本 伸 監修),“イノベーションの迷路,” サウザンブックス社,2021

[2] 黒田豊,“成功するイノベーション,” 幻冬舎,2014

[3] アレックス・オスターワルダー,イヴ・ピニュール(小山龍介 訳),“ビジネスモデル・ジェネレーション”翔泳社,2012

[4] アレックス・オスターワルダー,イヴ・ピニュール他(関美和 訳),“バリュー・プロポジション・デザイン”翔泳社,2015

[5]牧野 光則,“エンジニアリング教育認定に関する国際動向とわが国における対応~JABEEの取り組み~ ”,JABEE 資料,http://www.jfes.or.jp/_ecst/topic/topic20130110_sympo20130109_file04.pdf

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