「日本的経営について」 島田博文

昨年の9月からの「日本的経営」について6人の方から投稿を頂き包括的な把握ができたと思います。私はそこではあまり議論にならなかった「成長の限界」について述べさせていただきます。

私の修士論文は非線形理論です。当時はローマクラブの「成長の限界」が話題になり、堺屋太一の「油断」という近未来小説がベストセラーでした。そんなことから私は“成長は無限に続くものではない”と考えるようになりました。そこで「成長には限界がある」という観点から「日本的経営」を論じてみたいと思います。

資本主義は「成長」をもっとも効率的に行うシステムです。その為グローバル化が進み、新自由主義という、政府よりも市場の方が正しい資本配分が出来ると言う市場原理主義の考えがもてはやされています。しかしながら、これには副作用があります。グローバリゼイションは世界に、格差の拡大という社会危機を生み出し、資本主義は資源の危機、生態系の危機を生み出し、環境破壊・天候不順などを発生させています。世界経済全体が停滞の方向へ向かっているように感じます。

会社の経営は“継続する事”を第一に考えるべきです。その為には利害が反する代表的なステークホールダである社員・お客・株主のどれにも偏らずバランス良く貢献する経営を考えるべきです。株主のために社員を犠牲にするような経営は短期的には成り立ちますが、長期的には疑問です。会社の経営は継続と雇用の確保が目的であり、成長はその結果です。成長を目的にする経営は長続きしないと思います。

私は日本的経営のルーツを、資本主義の考えは渋沢栄一・会社経営は松下幸之助・社員のモチベーションは石田梅岩から見出しました。

全てのテイクホールダーに配意する経営には、経営者のモラルに頼るしかありません。渋沢栄一は「道徳経済合一説」を唱えています。即ち、「仁義道徳と生産殖得は元来ともに進むべきものです。しかるに世の中が段々進歩するにしたがって社会の事物はますます発展する。但しこれに伴って肝心な道徳仁義とうものがともに進歩して行くかというと残念ならそれは「否」と答えざるを得ない。」と言っています。まさに経営者の仁義道徳に期待するしかありません。
そして松下幸之助は“社員の人生に責任を持つ”という発想のもと、終身雇用と年功序列という制度を生み出しました。社員をコストと考えている今の風潮には明るい未来は感じられません。

しかし、こうした考え方の日本的経営には弱点があります。成長が見込めない中では「社員のモチベーションを維持し、付加価値のある経営を如何にするか」が課題になります。これに応えているのが石田梅岩です。石田梅岩は「勤勉と倹約」という相矛盾することを掲げ「生産性や経済性を度外視して勤勉に働くことは良いことだ」という文化を創りました。即ち「細部に拘る美意識を育て、勤勉かつ精巧に働くことが積徳の士だ」と言う美学が社員のモチベーションを維持すると言っています。日本の“ものづくり”の原点もここにあると思います。

いずれはフロンテイアが無くなり地球規模でゼロサム社会を余儀なくされるでしょう。より完全な循環社会がこれを可能にするでしょう。でも企業を継続するには挑戦する心が必要です。その挑戦する心を何処に求めるか?
GDPの拡大や、利益の飽くなき追求、規模の拡大に求めず、細部に拘る美意識を大事にし“継続と雇用の確保”を第一とする日本的経営に期待すると言うのはいささか暴論でしょうか?

島田博文

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です