「中長期開発投資の必要性」 三木 一克

企業が新しい事業を開拓する場合、その事業に経験と実績がある企業あるいは部門を買収するのは最も即効性があるが、買収額に見合った期待通りの成果を達成するのは容易ではない。一方、企業の内部に新事業の芽を作り育て上げるのは長い忍耐の歳月と地道な人材の育成が必要だが、組織の成長力、結束力、競争力を産み出すという本質的な成果が期待できる。

日立の社費留学制度で1981年8月から1年間、米国アルゴンヌ国立研究所で原子力分野の研究に参画する機会があった。所属したのはComponents Technology Division で原子力機器の流体解析・実験を専門とする部門であった。当時、米国の原子力発電所でトラブルが発生しほとんどの所員がその対応に追われていた。そのためコンサルタントとして定期的に来所していたミシシッピー州立大学の航空工学の権威J.F.Thompson教授からの技術指導を私一人が受けるという機会に恵まれた。お陰で、航空工学における最先端の数値流体力学を習得でき、帰国後はこの技術をベースに「計算科学」グループが研究所内に創設され日立グループの様々な新製品開発に貢献した。

1986年9月に研究開発の成果をテキサス州オースチンで開催された国際会議で発表した帰りにThompson教授の研究室を訪問した。その際、教授から「ホンダから数名の技術者が航空工学の勉強に9月下旬より長期滞在する」との話を聞いた。ホンダが飛行機の開発に着手したのとほぼ同じ頃、我々は電力機器の技術をベースに陽子線がん治療装置の開発をスタートした。実験棟の広い地下室に新たに設計したレーストラック型の加速器を設置し基盤技術の蓄積を図るとともに、従来にない全く新しい陽子線加速制御技術を開発し新事業開拓の基礎を築いた。

開発着手から20年以上が経過し、日立の陽子線がん治療装置は米国最先端のMDアンダーソンがん治療センターをはじめ日本国内、海外に広く普及しつつある。一方、ホンダのビジネスジェット機「ホンダジェット」は2010年に初飛行に成功して以降、米国中心に新事業が展開されつつある。何より、創業者本田宗一郎氏の夢を若い後継者達が実現したことは、ホンダの従業員に大きな誇りと向上心と連帯感をもたらしたと推察する。

20年に及ぶ長期の技術開発を継続していくことは非常に難しい。我々は、長期にわたり安定した開発資金を確保するため、電力グループ傘下の全事業部門に対して売上高に見合った一定の研究開発資金を拠出する仕掛けを構築した。一方、開発を推進する人材は、他社にない新しい加速器がフラグシップの役割を果たし、大きな夢と明確な目的意識を持った優秀な若い人達が毎年仲間に加わった。2000年以降、彼らは研究所だけでなく工場の設計部門、事業部門の中核として活躍している。

世界で普及している欧米流の経営では、経営者は短期的な事業成果に縛られ、長期的な施策を打ったとしてもその成果が刈り取れるのは何世代か先の経営者になるため、その先見性を評価されることは少ない。しかし、グローバルな競争社会でモノ作りを専業とする企業である限り、企業の優位性、競争力を長期にわたって維持していくには、数々の失敗を乗り越えて将来の成長の芽を事業に結実させる中長期的な視点に立った施策も必要であると実感している。

北海道大学納 陽子線がん治療装置

三木 一克 プロフィール

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