夢を描けるか、日本のインフラ事業の本質 行政が考えるインフラ事業と総合計画

インフラストラクチャー(社会資本)とは…

インフラストラクチャー(社会資本)については、1969年、経済審議会社会資本研究委員会が「私的な投機、利潤の追求または私生活の向上による投資だけでは、国民社会の必要性からみて存在量が不足するか、あるいは著しく不均衡になる資本」と定義した。さらに経企庁は1987年に「利用者が特定できるか否か」という視点から分類した。利用者の特定が困難な中には、全く不可能なもの、技術的に可能だがコストが大変かかるものがある。例えば一般道路は利用者ははっきりしているが料金を取ろうとしたら大変。公園なども同様である。お金を取るためのコストを考えると無料でやらざるを得ないものと、利用者が特定できるのでその人たちに負担してもらえるものとに分けられる。ここで話題として取り上げようとしているのは、技術的に可能だがコストがかかりすぎるので公共事業として実施している事業である。そうした事業を適切に実施するために何が必要か、また、そうした事業はそもそも何を目的とすべきかについてお話ししたい。

 

公共事業の目的

まず、インフラにかかわる公共事業は、基本的な計画がないままに展開しては国民の不安と批判を招いてしまうということを明確にしたい。一般論としてインフラが必要だということは理解されても、国民にとって何のためにやっているのか、各省が事業を展開した結果、何が解決されるのかということを予め国民に明確にした総合計画なしに事業を展開すると、国民の批判・不安を招くことになる。

 

かつては「国土の均衡ある発展」という旗印があり、そのためのインフラ整備だと説明されてきた。それがあいまいになり、最近それに代わって「国土強靭化」という目標が出てきた。国土強靭化のために公共事業が必要だと言っているが、国土の強靭化といっても無限である。どの程度の災害に持ちこたえるのか、その具体的な目標が示されないままに事業が展開されるのはまずい。

 

国土形成計画と広域地方圏計画

相互に関連して総合効果を発揮するインフラの整備のためには、総合計画の存在が必須になる。現在、総合計画には国土形成計画法にもとづく全国計画とそれを受けての広域地方圏計画がある。

 

かつて国土総合開発法に基づいて全国計画が定められていた頃は、おおむね10年ごとに全国総合開発計画(全総計画)が策定され、30-50年の計画期間を持っていた。平行しておよそ5年ごとに経済計画が策定されて、5~10年の計画期間をもった経済政策の基本が示された。

全総計画は長く「国土の均衡ある発展」というテーマの下に策定されてきた。これに象徴されるように、大都市抑制・地方振興という大目標のもとに計画を作り、道路や港湾のインフラ投資計画も、そのことを実現するという目的で作られている。

経済計画は、全総計画より計画期間が短く、5~7ヵ年の経済運営の基本方針を定めていた。私は経済計画の大きな意味の一つは、計画期間の分野別の社会資本の投資額を示していたことだったと考えている。ほぼ5年ごとにどの分野がどういう状況にあって、今後どれだけの投資が必要かということを、経済審議会という場でオープンな議論を戦わせていたことに、大変大きな意味があったと思う。各省庁はこの作業に如何に自省庁の要望を反映させるかにしのぎを削った。この作業は経済計画とともになくなってしまったが、私はそれが大変惜しいと思う。

 

国土計画と経済計画の2つの計画について、いま少し話を進めよう。まず、経済計画について話をすると、中曾根内閣がスタートした時に、新しい経済計画はほとんど原案ができていたが、日本は計画経済の国家、社会主義国家ではない、国家の経済的な運営の基本方針だけでよい、という中曾根総理大臣の指示で、ほぼ出来上がっていた経済計画の原案からほとんどの目標数字を除き閣議決定がされた。計画経済の国家ではないというのは表向きの理由で、中曾根氏は計画に経済成長率○○%と定めると、達成できてない場合に野党から責められるのを恐れて数字を外したといわれている。

全総計画は、もはや開発の時代ではないということで「国土形成計画」に名前を変えて存続している。しかし、国土形成計画では全国計画は基本方針のみを語り、具体的なプロジェクトの計画は「広域地方計画」として、各ブロックごとに府県が中心になって作るようになっている。下図が、国土形成計画の広域地方計画の区域になる。北海道と沖縄は広域地方計画の対象となっていない。

 

 

それは、北海道は北海道総合開発法、沖縄は沖縄振興開発特別措置法によって計画を作る。このために2つの地域が除かれる。それぞれの計画が国土形成計画の全国計画の基本的な考え方に沿って計画を作るとは思うが、これでは全国計画とはいえない。もう一つ重要な事柄として指摘しておきたいのは、誰がブロック計画を作るかという点である。以前は国土庁で国土開発審議会の意見を聞き、各省庁とも調整をして、一元的に作成した。今は、それぞれのブロックに設置されている知事や商工会議所会頭がメンバーの広域地方計画協議会で作成する。このような仕組みで計画をつくれば、例えば「わが県は空港や新幹線はいらない」という知事は一人もいないだろうから、各府県が望んでいるプロジェクトが数多く計画に書かれてしまう。要望事業リストのような計画になってしまう。

 

マスタープランなしで行われている公共事業

私のいた運輸省の経験から言うと、福岡空港が危険な状態にあるので成田、関空の次は九州の新空港の整備が優先されると考えていた。しかし、その位置の決定を九州知事協議会で決めるように要請などしたものだから、全知事の合意が形成されず、結局中部国際空港を先に作ることになったと聞いた。選挙を戦わなければならない知事さんらは県民の要望を無視して、大所高所から判断等とは言っておられないので、地方に作成を任せた計画は結局事業の要望リストに終わってしまう。もはや国土計画ではない。新幹線についても、同じことが言える。整備5線について着工順位を政治家に決めてもらおうとしても決まるわけがない。全て同時着工という回答がくる。

やはりバランスの取れた計画を作るためには、国が主体的に一元的に原案を作り、それをベースに意見を戦わせる必要があると思う。主管官庁の役割は、理念とデータに基づき原案を作成し議論に付することだと思う。それが今できていない状況にある。国土の将来像を示すマスタープランがないままにインフラの整備が進められ、公共投資が行われているというように考えていただいてもいい。

 

全総計画を作ってきて、私が言いたいのは、全総は、道路でいえば何も路線1本1本まで決めているわけではない。しかし「国土の均衡ある発展」や「大都市集中抑制」などの大きな目標があって、それを実現するために各分野の政策があり、各分野の投資計画が定まるというストーリー、ロジックがあるからこそ統制が取れていた。国民も安心してみていた。今はそれがなく、「国土強靭化」の方針のもとに各省庁が事業を推進すれば、国民からみれば、少しやりすぎではないかとか、最終的に何が出来上がるのか、全部安全にするためにお金はあるのかということになってしまう。

 

もしインフラのあり方を探るのであれば、まず中心となる目標があり、それをどう実現していくかという投資プログラム、すなわち計画があるべきだ。それがないままに各分野が競って目標実現のために奮闘している。

わたしが考えるにインフラ投資にとって一番まずいのは、「景気を浮揚させるために投資をする」ということだと思う。短期的な経済運営の手法としてはありえても、インフラ投資というものは長期計画の下、粛々と進めるべきものであって、「景気浮揚のため」を当然の目標のように語るのは、国民が「何か違うのではないか」と思うきっかけになってしまう。多くの国民は、景気浮揚のためには穴を掘ってまた埋めればよいという話を経済学の講義の中で聞いており、そうしたイメージが国民の中にあるときに、景気浮揚のために公共投資が必要だという主張は、インフラ本来の目的を誤解させるおそれがある。

 

元運輸省 港湾局長

栢原 英郎

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